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八丈島の歴史

縄文時代の湯浜遺跡や倉輪遺跡、流刑島の歴史

八丈島では、縄文時代から人が住んでいたことが、湯浜遺跡や倉輪遺跡で確認されています。また、平安時代に伊豆大島へ流罪となった源為朝が渡来し、八丈小島で自害した伝説があるように、流刑島としての歴史もあります。公式な八丈島への流人第一号は、慶長5年の関ヶ原の戦いで西軍石田三成方に属した宇喜多秀家で、明治維新後の1869年に至ってようやく赦免されました。数年後に島へ戻った子孫の家系が、現在も秀家の墓を守っています。その歴史は、八丈島歴史民俗資料館でも見ることができます。

玉石垣

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