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更新日:2018年2月9日
昭和47(1972)年「東京の公害」写真コンクール作品
15号埋立地(江東区若洲)へごみを運ぶ収集車の長い列。15号埋立地にゴミを運ぶルートは、江東区豊洲、東雲を経て、若洲橋を至る陸路が整備されていました。しかし、15号埋立地までのルートはこの1本だけであったため、車輌が集中し、順番待ちによる深刻な渋滞も引き起こされていました。
15号埋立地は、この2年後の昭和49(1974)年に使命を終え、最終処分埋立地は、ヘドロ処分地であった中央防波堤内側に移っていきました。処分地はすでに逼迫し、綱渡り的なごみ処理が進められていたのです。
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