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更新日:2018年2月9日
昭和47(1972)年「東京の公害」写真コンクール作品 場所不明
都内の公園で撮られた花見の季節の光景です。花見客のすぐそばにごみの山がありますが、だれも気にしていないようです。
この当時、都内で排出されるごみの量は爆発的に増加していて、清掃工場での処理が追いつかない状況となっていました。危機感を募らせた都知事により、昭和46(1971)年には『ごみ戦争』が宣言され、東京都ごみ戦争対策本部がつくられました。翌47年には、住民の強い反対で清掃工場建設が頓挫していた杉並区のごみを、江東区が実力で受入れ阻止する事態に至りますが、その後、都民のごみに対する意識は徐々に変わっていくこととなります。
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